また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
主を恐れることは知識のはじめである、 愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。
これらの者は、捕えられ、ほふられるために生れてきた、分別のない動物のようなもので、自分が知りもしないことをそしり、その不義の報いとして罰を受け、必ず滅ぼされてしまうのである。
もし主を愛さない者があれば、のろわれよ。マラナ・タ(われらの主よ、きたりませ)。
なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者どもだからである。
だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。
わたしは、わたしを愛する者を愛する、 わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。
神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。
こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、
しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。
わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。
兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。
しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、
わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
彼らはむなしい誇を語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、
あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。
わたしたちが異邦人に救の言を語るのを妨げて、絶えず自分の罪を満たしている。そこで、神の怒りは最も激しく彼らに臨むに至ったのである。
こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。
そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、